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VOICE of ART

インタビュー02:大岩オスカール 

1965 年ブラジル、サンパウロ生まれ。現在、ニューヨーク在住。
1989年サンパウロ大学建築都市学部卒業。1991年、東京に活動の拠点を移す。 1995 年デルフィナ・スタジオ・トラストのアーティスト・イン・レジデンスに てロンドンに滞在。2001 年アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)および ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団フェローシップの助成を受け、2002 年ニューヨークに拠点を移し、現在同地在住。主な展覧会に「第 21 回サンパウ ロ国際ビエンナーレ」(1991 年)、「エデンの園」
上野の森美術館 EXTRA、2008 年)「大岩オスカール 夢みる世界」(東京都現 代美術館、2011 年)「大岩オスカール」(ブラジル国立美術館、2018 年)「終わ りのむこうへ:廃墟の美術史」(渋谷区立松濤美術館、2018 年)「光をめざす旅」 (金沢 21 世紀美術館、2019 年)などがある。http://www.oscaroiwastudio.com (2020年12月21日 ニューヨークの自宅にて、ビデオインタビューで採録。)

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セルフ・ポートレイト 2020年12月21日  撮影:大岩オスカール


―ロックダウン中のこと〜ニューヨークから 

ーお元気ですか?大統領選挙が終わって、ようやく長いトンネルが抜けたような感じでしょうか。でも米国のコロナ禍は、まだ予断を許さない様子ですね。以前、 オスカールの家の近所に、冷凍車が並んで遺体を保存する準備をしていると画像を送ってくれましたが、あれはたいへんな衝撃でした。

大岩オスカール)大統領選挙があって、いろいろあったけど、ようやく今は少し落ち着きを取り戻してきた感じ。コロナも一番ひどかったピークは過ぎたような気がします。ここからだんだん、良くなっていくんじゃないかなと思うけど。

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ニューヨーク州クイーンズ、スタジオ周辺の風景 2020年12月21日

撮影:大岩オスカール

―さて、きょうは、まず時間を遡って。 美術作家としてやっていこうというのは、どういうきっかけがあったのでしょうか?

大岩オスカール)小中学校から絵を好きで描いていて、高校生になったら漫画っぽいものも描い たりして。大学生になったら画廊のオープニングに顔を出すようになって、だん だん自分のテリトリーが広がって。 1980年代にサンパウロ・ビエンナーレの手伝いの仕事をして、いわゆるアー トに目覚めて。当時、日本からは川俣正とか横尾忠則が参加していた。学校は建 築だったけど、徐々に現代アートに関心が傾いていって。20 代から展覧会に参 加し始めて、だんだんと作家でやっていけると思うようになった。

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   サンパウロ・ビエンナーレ会場 1987年 

大岩オスカール)これまでの人生で、下りも上りもいろんな坂道がある中で、繋がるように次々展覧会をやってきた。引っ越したり、旅をしたりして、だんだんと人や場所が繋がってきたというか、人の繋がりで作家としてやってきた感じかな。 今でもニューヨークに住みながら、日本に行ったり、日本からアジアとか、いろんな繋がりが増え続けているよね。


―サンパウロでの時間は、どんな時間だったか話してもらえますか。振り返っ て、どんな時間だったか、どんな時代だったか。

大岩オスカール)サンパウロに戻って、自分が住んでいた場所や、学校や店や、訪れると何かすごく懐かしく感じる。でも、これまでいろんな人に会って、いろんなことがあったから、小さい頃と今は世界観が全く違っている。だから、昔の場所に戻ると、 不思議な時間のギャップがあって。場所は変わらないけど、自分の頭の中の価値観が変わってしまったというか、ね。例えばね、小さい頃、育ったエリアの目の前に高級ホテルが建って、あんな(料金の)高いホテルに、誰が泊まるのかと不思議に思っていたけど、自分が泊まるようになったりして。若い頃には、おじさんたち何やってるの? って、わからないことが多かったけど、大人になって、なんだ、若い奴ら何やってんの、って思ったりしてね(笑)。立場が変わると見方も変わるんだよね。

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日本の映画を上映していたシネニテロイ サンパウロ 1970年頃

―サンパウロも当時と随分変わったのでは?
大岩オスカール)僕が育ったのは、少し郊外だった。今から思えば、その地域に暮らしていた小中学校の同級生の子らは、ほとんど大学に行かず働き始めて。自分は親の影響もあ って私立の高校に行って大学に行って、その後ジャンプして世界に出て行ったから、今はもう人の繋がりはほとんどなくなってしまった。両親は教育は大切だと考えていた。日系人だけじゃなくて、だいたい移民の人たちは子どもの教育にうるさいという傾向がある。今住んでいるニューヨークも 移民の人たちは教育、教育って、力入れるよね。いい学校出て、仕事を得て、生きていくのに、やっぱり教育は必要だと思うから。僕も自分の子どもに言ってるね。あまり細かいことは言わないけど、勉強した方がいいとは言うね。(笑)

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三年間通った高校 Colegio Arquidiocesana de São Paulo

ー今でもブラジルの風景を描いていますね?


大岩オスカール)そうね、人生の最初の 24 年間を過ごして、そこで自分が作られたと言ってもいいかもしれない。もちろん家族の影響もあるし、見たもの、聴いたもの、読んだものとか、若いうちに吸収したものは大切なんだと思う。

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学生時代に描いたポスター 画 1982年(当時16才)

ー当時、サンパウロで見たものなどで、思い出すものがありますか?

大岩オスカール)ブラジルの小説とかね、想像力がすごいなと思う。ラテンアメリカの文学全般ね、不思議な物語性がある。音楽もね。僕の作品のどこかに影響が出ているんじゃないかなと思う。
ヨーロッパからブラジルへは、最初ポルトガル人の到来があったけど、サンパウロはフランスの影響も強かった。パリへの憧れが強かったから、コーヒー農場の 富豪の子女はパリに留学するという人も多かった。岡本太郎に似てる。 ヨーロッパは伝統があって、例えば、建築も、歴史の中で積み上げてきている。 米国がイギリスから独立して国のシステムから作らなければならなかったように、南米も無いものがいろいろあったから、最初から考えないといけなかった。 国が新しいから前例に従った計画ができない。長期的な視点がないというか、いつも作らないといけない。米国のワクチンも、日本やヨーロッパが買い占めているのに、ブラジルはようやく、といったところ。計画性がないから急に何か新しいものが生まれる可能性もある。ダイナミックな展開もある。聞いた話だけど、世界の大手銀行がブラジルのスタッフを入れる理由は、変化に強いということらしい。国民性かもしれない。

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路上ペインティング(19歳の頃の作品)

ーブラジルから、まず日本に来たのはどんな理由からでしたか? 

大岩オスカール)二十歳くらいの時に、初めて来日して、その後、大学に戻って。 当時日本はバブルで、僕は日系人でビザの問題もないし、言葉も少しできたから、日本に行きやすかった。10 代の頃から、とにかく世界に出たいという気持ちがあったのね。日本に来て生活のために 3 年間くらい建築事務所で働いて、 日本の社会のやり方を覚えた。会社運営とか、組織の仕組みとか、企画書作るとか。当時は北千住に住んでいた。下町の人間味がある街だったな。


ーだから早いのね、企画書を作るの。(笑)アーティストには珍しく、ペーパーワークを嫌がらないものね。英国へも 1 年ほど留学しましたね。どんな暮らしだったのかしら。


大岩オスカール)ロンドンブリッジの近くの、35 人くらいが個別にスタジオを持てる 4 階立ての ビルに入って、油絵を始めた。

ーヨーロッパに行くと油絵がいいなぁと思います、私も(笑)。

大岩オスカール)日本では場所も狭かったから、アクリルとかが精一杯だった。そのロンドンのスタジオでは絵を描く人たちがほとんどで、自分もやってみようと。交流があって、お互いにスタジオヴィジットして。その後、日本に戻って。 それからグループ展に呼ばれるようになって。しばらくして名古屋(覚)(註 1) さんが VOCA 展(1995 年)に推薦してくれて、奨励賞を受賞した。その頃、北川 フラムさんからファーレ立川の仕事が入って。あれが最初のパブリックアート だった。

ー歩道にね、三葉虫のような足跡のような作品でした。(註 2) 

大岩オスカール)そう。その後も、妻有や瀬戸内や、最近は上海でもフラムさんと一緒に仕事をし ている。フラムさんは基本的に何も言わないから、やりやすいよ。長い付き合いだ。

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《エイズかんじゃ》《ゼロセン・パイロット》 コーヒー、ベニヤにアクリル 1995年

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《Urban Fossil》ファーレ立川(東京)鋳造鉄、ブロンズ、舗装材 1994 年

ー屋外設置のコミッションワークは建築チームなどと仕事をするから、スタジオで独りで絵画制作するのとは違いますか? 

大岩オスカール)コミッションワークは地域とか場所と関わるので、難しいけどおもしろい。 1 年前の上海のプロジェクトでも、地域のリサーチをした。(註 3) 美術館や博物館に行って、上海だけでなく中国全体の歴史も調べた。ブラジルの学校では、ヨーロッパの歴史は詳しく学ぶけど、アジアの歴史はあまり学ばないから。中国の歴史についての知識が足りないと思って勉強した。上海は特に 200 年前は何もない村だったけど、ヨーロッパが入ってきて、1920 年代とか、中国で一番栄えた街で。戦争もあって日本に制圧されて、とか、いろいろ。

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《Time Shipper》楊浦区、上海(中国)ミクストメディア  2019年

ー日本で教育を受けた(オスカールさんと)同世代の私たちは、東アジア史とか、 ほんのわずかしか学んでなくて。戦後 20 年くらいしか経っていなかったのに、 戦争で日本がどうしたかとか、詳しく教えてもらわなかったという感じです。

大岩オスカール)最近、コロナでどこへも行けないし夜も家にいるから、昭和の時代の日本映画を 100 本くらい観た。中には、自分が知らなかった第二次世界大戦やその影響を窺えるものもある。どうして日本が中国に侵略したのかとか、どうして戦争に負けたのかとか。なぜ天皇陛下の地位は保たれたのかとか。戦争で勝った国と負けた国の関係とか。今まであんまり知らなかったから。 

ー移住先に米国を選択したのは、どうして?

大岩オスカール)ACC とグッゲンハイムフェローシップの奨学金を得て渡米した。ニューヨークはアートの先端と頭の中でイメージを描いていて。お金もかかるしチャレンジはいっぱいあるし、大変だとは思っていたけど、あのまま日本に居続けるより、 まだ何かやりたくて。今年で移住して 18 年になるけど、結果として良かったと思っている。刺激もあるし、学ぶこともいっぱいあった。サンパウロに戻りやすいという地理的な条件もあって。 

ー当時のニューヨークはどんな感じでしたか?
大岩オスカール)2002 年だったから、9.11 の影が強くて。テロから 9 ヶ月後だった。精神的に怯えているという雰囲気があったよね。それからブッシュ政権が戦争始めて。街でもデモが多くて。

ーナショナリズムも右肩上がりの状況で。
大岩オスカール)でも、当時は戦争反対のデモも多かったかな。ニューヨークはアメリカの他の州とは違って、外国人が多くてリベラルで。圧倒的に反トランプだし。国が広いから、各州で自律しないと、物事決められないし。

ー18 年間のアートシーンの変化はどうですか? 

大岩オスカール)あんまり展覧会を見なくなったかな (苦笑)。スタジオの近くに PS1(註 4)が あるけど、(行くのは)年に 1、2 回かな。友人やキュレーターを知っていると行くけど。作る側として、あんまりおもしろいと思わなくなってきて。上手い人も、まあまあ おもしろいという作品もあるし、もちろんいいアーティストもいるけど、あんまり追わなくなったかな。住み始めた頃はオープニングにも顔を出してたけど。 

ー展覧会やプロジェクトで旅をすることも多いですね。場所が変わると作品が変わる、というのはありますか。

大岩オスカール) 環境が変わると頭の中も変わるからね。やっぱり何か刺激が必要だから。 たとえそれが「隔離」だったとしてもね。 最新作の「隔離シリーズ」は、家から出なくなって、初めてデジタルで描こうと チャレンジしてみたのね。家の近くの風景を描いたりね。隔離がなかったら、このシリーズは生まれてなかった。

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《Quarantine drawing series #11》デジタルドローイング 2020年

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《Quarantine drawing series #14》デジタルドローイング 2020年

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《Quarantine drawing series #16》デジタルドローイング 2020年

ーデジタルは、家で描ける手法だから? 紙にドローイングっていう選択でなく?

大岩オスカール)(デジタルは)前から試してみようとは思っていた。単純に修正も簡単だし、物理的な物の大きさに関係なく描けるから。どこかの国でプロジェクトがあった時に、自分が行かなくても出力してもらえばいい。今、横浜の JICA のコミッションワーク(註 5) でデジタルで作った大作を発表する予定なんだ。

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《Kasai (1912-1930)》デジタルドローイングからデジタル・ウォールドローイングに変換 2021 年

Commissioned by JICA , Japan International Cooperation Agency, Japanese Overseas Migration Museum, Yokohama
*2021 年 3 月より公開予定

ー筆や絵の具の物理的な存在感や、筆致とか、やり直しが効かない緊張感など、 今までの作品と、ずいぶん差があるように思いますが。 

大岩オスカール)デジタルだと制作も早いし、細部も描ける。デジタルも出来ることがあるし出来ないこともある。でも自分で描いているから、1 枚 20 時間かかって、毎日 7-8時間描いて。500 時間くらいこのシリーズにかけたけど、3 ヶ月もやっていると飽きてきて。(苦笑)最近はまた絵が描きたくなって、大きいサイズに挑戦してる。

 ー毎日、出勤するようにスタジオに通っていましたね。隔離期間中、体がなまったりしなかったかしら。

大岩オスカール)一旦スタジオに入ると 7- 8 時間制作して。 でも隔離で体を動かさなかったから、川沿いに走りに行ったり、自転車で往復 15kmくらい週 3 回くらい走って、体力は戻った。人も車も少なくて、走りやすかったな。


ー(ニューヨークは)あんなに賑やかな街だったのに、人が激減した様子は、ちょっと怖いと思いました。もう戻らないのかも、とか。

大岩オスカール) 学生はオンライン、会社員は家で仕事する、街はガラガラで、田舎町みたいでよかった。でも治安が悪くなった。ホームレスが多くなったり。 

  ー風景画の中にも、社会性が隠されていることもありますね。 

大岩オスカール)学生時代は軍事政権で、大統領選挙が始まって、学生デモやストライキが多かった。その影響はあったと思う。でも、自分は見る側。旗を振ってリーダーになるタイ プではないから。


ー昭和 40年会 (註 6) のメンバーですが、会の成り立ちは? 

大岩オスカール)横浜NICAFを機会にして、同世代と思って適当に喋っていたら、みんな昭和40 年生まれで。集まっても、互いの作品のことはあまり話さないかな、最初から。 誰も NY に展覧会に来ないから、こちらでは会わないけど、僕が日本に行くと、 年に 1、2 回は会う。千代田の 3331 で展覧会があったけど、コロナで誰もオー プニングに行けなくて、残念だった。 

ーこれからの世界、どうなっていくと思いますか? 

大岩オスカール)家で仕事するのが定着して、ホームオフィスができて、ネットワークの中で生きていくとか、国境も越えて行かれるのではないか。 でも、最終的には人間が関わっていないとつまらないと思うんだよね。世界中で 3D のアニメーションなど盛んになってきているけど、単にコンピューターだけが作るものはつまらない。音楽も小説もそうだけど、最終的には人間の手が入ったものでないと共振しないんじゃないかな。

ー人間に信頼があるってことかしら?
大岩オスカール)人間と人間が会わないと話が進まないんじゃないかな。人間関係ができた後は チャットでも出来るけど、人間には人間が必要なんじゃないか。

ー旅をしていたことが普通だった生活から、少し変化していくかもしれないけど。旅には出たいかしら? 

大岩オスカール)移動できない、外に出られないということと、メンタルに閉じ込められていることは近いと感じていた。
「隔離シリーズ」(註 4) の絵に現れていたけど、体は移動できないけど、頭はどこかに行こうとしていた。「隔離」は行こうと思っても行けない状況だったから。新しいペインティングもコロナの最中に頭に浮かんだけど、気持ちや頭の中は旅に出よう、という感じで。

ー金沢(21世紀美術館での展覧会)では光に向かって歩いていくと言っていたけど、世界ではなかなか希望の光も見えなくて。

大岩オスカール)最もひどい時期は過ぎたかもしれないと感じている。もちろん問題が治るまでには数ヶ月はかかると思う。地球規模で考えるとワクチンにアクセスできない人たちもいるから、まだ時間がかかるかも。

ーそういう世界は、オスカールの目にはどう映っているのか。現実にそのような ことが起きるかもしれないけど、どんな気持ちでいますか?

大岩オスカール)Not fair という感じだな。税金だってなんだって、ある人たちは得して、そうでない人たちもいる。作品には直接現れなくても、どこかに潜んでいるかも。 我々の世代は戦争をダイレクトに体験していないから、親の世代と違って生きるか死ぬか、殺すか殺されるかということはないから、まだ幸せかもしれないけど。情報にアクセスできる人が増えているから、戦争しにくい時代になっているかもしれない。


ー奥能登国際芸術祭 (註 5) が延期になって、今年開催になりました。どんなプランですか? 

大岩オスカール)使われなくなった駅を使ったインスタレーションを発表する。ワクチンがうまくいって、行けるといいけど。
(おわり)

聞き手: 黒澤浩美 (金沢 21 世紀美術館チーフ・キュレーター)


(註 1) 名古屋覚(1967-2019) コラムニスト、美術ジャーナリスト読売新聞浦和支局記者を経てジャパンタイムズ記者に。展評やコラムなど、幅広い媒体に美術記 事を数多く寄せて、90 年代以降の国内アートシーンに欠かせない書き手のひとりだった。VOCA 展は第 2 回から 19 年連続作家推薦委員を務めた
(註 2) ファーレ立川
https://www.faretart.jp/about/
(註 3) 昭和 40 年会は、1994 年に大岩オスカールをはじめ、小沢剛、土佐、会 田誠、松陰浩之など、同年生まれのアーティストで結成された。作風やメディアが異なる作家の集まりで、不定期だが国内外で展覧会を開催するなど、活動を続けている。
(註 4) 展覧会 Let’s go on a trip で発表予定。 会期:2021年2月5日(金)〜3月7日(日) https://www.artfrontgallery.com/exhibition/archive/2021_01/4371.html
(註 5) 奥能登国際芸術祭 2021 年 9 月 4 日(土)〜10 月 24 日(日)(予定) https://oku-noto.jp/ja/index.html






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