VOICE of ART
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インタビュー01:山本基(やまもと もとい)

*「前半ー美術作家になるまで」はこちらから↓

https://note.com/kanazawa21_kou/n/n59283bc1945a

1966年広島県尾道市生まれ。1995年金沢美術工芸大学卒業。現在、金沢市在住。脳腫瘍を患った妹の死に向き合い、浄化や清めを喚起させる「塩」を用いてインスタレーション作品を制作。国内外での発表を続けている。2016年に妻・敦子さんも癌で見送った。

主な展覧会に2003年「ファースト・ステップス」MoMA P.S.1/ニューヨーク。2004年「21世紀の出会い-共鳴、ここ・から」金沢21世紀美術館。2010年「MOTアニュアル2010:装飾」東京都現代美術館。個展「ザルツ」サンクト・ペーター教会/ケルン。2011年「個展 しろきもりへ」箱根彫刻の森美術館。2012-14米国巡回個展「海に還る」。2013年「物の哀れ」エルミタージュ美術館/サンクトペテルブルグ、2016年「瀬戸内国際芸術祭」、「六本木アートナイト」等がある。2002 年フィリップモリスK.K.アートアワードとP.S.1賞を受賞

(インタビュー:2020年10月28日、石川県金沢市大野にある山本基さんのスタジオにて)

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撮影:Makoto Morisawa

後半ー忘れないために描く

―塩を使って死の記憶に関わる作品を、繰り返し発表し続けていますね。作品を制作している最中は、どんな気持ちでいるのでしょうか。

山本)何のために(作品を)作っているかというと、大切な思い出に繋がれたらいいとか、思い出を忘れたくないとか。どんどん忘れてしまうからね。都合が悪いことはもちろんのこと、大切にしたいなと思っている出来事でも、人ってどんどん忘れていく。でも、昔、中学生の頃に英単語を忘れないように何回もリピートしたじゃない?(笑)。あれと同じで、その行為を繰り返して忘れないようにすることが大切なんだよね。いまもインタビュー受けているけど、こんなことでもないと、きょう妹の写真を見たり、彼女について語ることは、おそらく無かった。インタビューと作品制作は、そういう意味では同じ。思い出すことを繰り返す。そうして忘れない、ってことが私にとっては大切。忘れないために描くってことだね。
このことに自覚的になったのは、妻の敦子が亡くなったとき、お別れの日に彼女の写真をプリントして、20枚くらいだったかな、娘と一緒に部屋の壁に貼って。今はもう壁いっぱいになったんだけど、壁に貼ることと作品を作ることの意味は、自分にとっては全く同じ、変わらないと気づいた。毎日、その部屋で暮らすこと、見続けることで思い出して、忘れないでいたい。

―死に向きあって忘れることに抗うのは、作品を発表して完結ということではなく、日常も途切れなく、そういう気持ちでいるということですね。


山本)そう、そう。自分の生活している時間の中に、できるだけそういうチャンス、過去のことを思い出す機会を持ちたいと思ってる。回数は多いほうがいいし、より深く対峙するほうがいい。普段でも、そういう時間は意識すれば取れるかもかもしれないけど。やっぱりそこに(思い出す)装置みたいなものがあると、より深く感じることができるだろうと思う。そのために塩で長い時間を掛けて描いているんだ。
もしかしたら、(思い出に向き合う)仕事をやっていることで失われることもあるかもしれない。でも、自分にとっては、過去に向き合っている方が元気でいられるというか。大切なことを記録したり、自分がいいな、大切だなと思った過去に思いを馳せることは、子どもの頃から良くあったことだから、自分の癖みたいなものかもしれないね。過去のつらい出来事に向きあったからといってネガティブになるかというと、全然そんなことなくて、どちらかというと、未来に向けてジャンプするときに、いったんしゃがんでいるような感覚かな。
最近思い出したことに、今、娘が小学校3年生なんだけど、自分は同じ年齢の頃、何やっていたかなと。僕は野球が大好きで、新聞の切り抜きを一生懸命スクラップしていたんだけど、貼り方にも、ものすごくこだわっていてね。作品の配置の仕方にも影響しているかもしれない(笑)。プロ野球や高校野球だけでなく、自分たちのチームの試合や打率なんかも記録してた。とにかく記録することは好きだったんだなって。そのとき作ったスクラップブックは、中学校のときの恩師、八ツ塚先生が作った小さな資料館に納めてある。先生にはお世話になったし、大きな影響も受けた。今、こうしているのは、本当に先生のおかげ。人が生きるとはどういうことか、とか、継続することの大切とかね。先生は自分で命の大切さについての文章を書いたり、生徒たちの日記から選んだものをガリ版のプリントにして毎日刷っていた。それを1年間続けたわけ。最後にみんなで製本してね。その分厚い本、継続した結果を見て、カッコいいなと感じた。つっぱる、つまり意志を通すとはこういうことだと教えてもらった気がするよ。
先生は母親の介護のために早期退職したんだけど、有言実行というか、命を大切にする姿勢は、僕の人生の大きな指針になったと思うな。


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―展示した作品を、最後に参加者の手で崩して持ち帰ってもらい、各自が海に返すプロジェクト「海に還る」。参加者からその時の様子が写真や動画などで送られてきたものをアーカイブしていますね。

山本)それは記録するということもあるけど、みんなと一緒にやっているのが楽しいということかな。展覧会にはみんな来てくれるけど、(制作は基本的に)孤独な作業でしょ。元々、人とワイワイするのが好きだから(笑)、そういう時間もあってほしいと思う。
「海に還る」は、チャールストンでの展覧会の最後に、作品を撤去するときにモップで「THANK YOU! MR. YAMAMOTO」って、床の塩にモップで書いてくれたんだけど、その新聞記事が送られてきて。作品がなくなるときも、こんなことが起こせるんだって、心を動かされた。2004年に金沢21世紀美術館で《迷宮》を描いた頃は、まだ誰にも自分の作品に触れてほしくないという感情の方が大きかったけど、いざ、みんなでやり始めたら、楽しそうにやってくれるのが、嬉しいんだよね。自分と関わってくれているのがわかるし、つながりを強く感じる。(例年開催している友人たちとの)餅つきをしてるときみたいな感じに近いんだと思う。作品のコンセプトとして、どうこうというよりは、一緒にやることで強くつながりを感じるから続けているんだと思う。

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撮影:中道順詩

―山本さんの作品に自分の人生を重ねたり、想いを託したいという人もいますね。


山本)そうだね、嬉しいことにそう言ってくださる方々もいるよ。僕は基本的には自分のためにやっているけど、「海に還る」を何度か積み重ねてきたことで、みんなの場所になっていることを自分も徐々に実感してきている。きっかけは、チャールストンでの展覧会の後、自分も父を亡くしたという人が、自分も想いを海に還したいからと申し出てくれたこと。だから、最初から意図してやっていたわけじゃない(笑)。「海に還る」の名称も京都造形大(現在:京都芸術大学)の学生さんが付けてくれたしね。

7-新聞記事

展覧会「Force of Nature」を伝えた地元紙、2006年 会場:チャールストン大学、サウスカロライナ

―「海に還る」は、自分でも徐々に受け入れていった、という感じですか?

山本)そうだね。初めて自分の作品に別の人が足を踏み入れたのは、2005年に作品の上でダンスを踊ってみたいという申し出があったときだったんだけど。


―作品の上?ですか。

山本)そう、今まで実際に作品の上で踊ってもらったことは3回ほどあって。ずいぶん自分としては心を開いて、チャレンジしてみたけど、結局、何か違うというか、得たものより失ったことの方が多いというか。踏み込まれた感じは拭えなかった。でも「海に還る」の場合は不思議と違って、作品に対する敬意というか、温かさを感じる。


―有難いものを手に取るというという、人の気持ちがあるのかしら。


山本)もちろんダンスの場合でも、作品を尊重してくれているとは思うんだけど、まだ私の気持ちがそこまで開いていないのかもしれないね。


―このところ、コラボレーションには積極的ですね。


山本)デンマークのロイヤルコペンハーゲンとのプロジェクトは面白かった。どうやったらお皿がうまく見えるかなとか、考えたり(笑)。今までは、自分がベストだと思う造形を追い求めるだけだったけど、他の人の作品を意識することがチャレンジだったね。作品だけでなく、食器も含めた会場全体をスタッフのみんなと一緒に考えていく過程も新鮮で楽しめた。最初は自分の作品を場合によっては部分的に譲るというか、そういうことに参加するのは躊躇したけど、(鉄工所の)仕事を辞めたあと、人と関わりをもつ機会が激減したこともあって寂しいんだと思う(笑)。小学生の娘と一緒にいる時間以外は、ほとんど家かスタジオで独りだからね。人と関わって何かを生み出す喜びも知ってるから、それも自分の人生の中で失いたくないという気持ちが強いのかな。
今の僕の人生のミッションは二つ。ひとつは出来る限り長く制作を続けること。二つめは娘をちゃんと育て上げること。これらが実現できるなら、これからもいろんなジャンルの人たちと、色んなことにチャレンジしていきたいと思ってる。

―事前にプラン図を描くのですか。


山本)プラン図は描くけど、現地に行って変化することも3割くらいはあるかな。場所の条件とか、照明によって変えていくことが多い。プラン図自体も作品と考えているから、ドローイングだけの展覧会も開催したことがあるよ。

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BIWAKO BIENNALE 2016 「たゆたう庭」のためのプラン 2016年

―コロナ禍で海外の仕事が延期になったりしました。この間、考え方が変わったり見方が変わったりということはありますか。あるいは作品に影響があったとか。


山本)多くの人たちが、本当に大切なことは何かと考えたり、人生に向き合うことになったと聞くけど、それについては、自分は何年か前に通過しているから、特に変化が生じたとは思っていないんだ。
でも、自分のことも含めて、人の心は弱いものだと実感したな。先行きが不透明なことや生活が成り立つのかという不安が、人に優しくできないことに繋がってしまうこととか。コロナじゃなくても何か大きな出来事があった時、例えば戦争が起きた時なんかは、こうやって不安がエスカレートして、社会は大変なことになるだろうとリアルに想像したりね。コントロールが効かない状況下で、人の心はそんなに強くいられないと感じたよ。

コロナ禍によって作品が大きく変わったということはないかな。2011年3月に東日本大震災が起きた時に、実は箱根の個展(「山本基 しろきもりへ」)の直前だったから、私も何かしなきゃいけないのかと、かなり悩んだことがあってね。多くのアーティストがすぐに反応していろんな作品を発表してたし。でも、僕は作品プランの変更はやめようと思った。これまでもずっと自分は人の死に向き合ってきたし、地震がある無しに関わらず自分のやることは変わらない。もちろん、今思っていることをパッと出すことも必要だと思うけど、自分が長い時間をかけて追い求めようとしていることにしっかり目を向けようと決めて、プランは何も変えなかった。

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《常世の杜》 2011年、塩 会場:箱根・彫刻の森美術館
展覧会「山本基 しろきもりへ」より 

―大義のもとに殺傷するようなアニメーションが大流行したりして、少し怖いなと思うところもあります。命の大切さについて考えるのが難しいと感じることはありませんか。


山本)無残な死に方をせざるを得なかった人たちを、間近で見た世代の人たちが少なくなって、その体験をリアルに聞くことが難しくなった。そのことは影響しているのかも知れないね。私は広島県で生まれ育ったこともあって、特別だったかもしれない。僕らは同じ世代だけど、生まれが実は終戦から二十年くらいしか経っていないじゃない?たった二十年しか経っていないから、周りにはその体験を忘れられない人がたくさんいたはずだし、私はその中で育った。私は妹がベッドの上で亡くなったのすら大きな衝撃を受けたんだから、無残な光景を目にした人にしか語れないことが絶対にある。でも、時が過ぎて私たちはリアルな語りを聞く機会を失いつつあるんだから、きっと何か他の伝え方を見つける必要があるんだろうね。

―これからについて、聞かせてください。


山本)生まれ育った広島もいいけれど、今は金沢で暮らしたい気持ちが強いかな。金沢21世紀美術館もあるし(笑)。とにかく生活の基盤がここにはあるし、今の自分を知ってくれて話ができる友人もいるからね。金沢は、街の大きさがほどほどだし、東京にも新幹線でつながって便利になった。一方で、山も海も近くて本当に気に入っている。でも、(故郷の尾道には)両親がいることもあって、人生設計プラン的には娘が中学校に入る時にもう一度考えようかなとは思ってるよ。

―スタジオの周辺も変わりました。


お稲荷さんや畑だったスタジオの周りも、新しく家が建ったりしてずいぶん雰囲気が変わったね。そうそう、コロナ禍の間に、何年も手つかずだったスタジオの片付けもやったんだけど、そしたら、初期の頃の作品がたくさん出てきて(笑)。整理してアーカイブするとか、あと、いまは金箔を使った作品にも挑戦中。これから徐々に海外も含めて発表の機会が戻ってくるといいな。(おわり)

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記憶の泉
ベラクルス州立彫刻庭園美術館(メキシコ)
2000

聞き手:黒澤浩美(金沢21世紀美術館チーフ・キュレーター)

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