(劇評#1)「月面を流れる川」: コトリ会議『晴れがわ』を観て

(劇評#1)「月面を流れる川」: コトリ会議『晴れがわ』を観て

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コトリ会議『晴れがわ』金沢公演(2020.8.14-16 金沢21世紀美術館 シアター21)公演風景   photo:奥祐司

 母体の中で赤ちゃんが浸っている水を羊水という。その語源は古代ギリシア語にさかのぼる。胎児を包んでいる膜が生贄の羊の血を入れた鉢に見えるからという説が有力らしい。
 人間と羊は命の根源的なところでつながっているのだろうか。コトリ会議の『晴れがわ』(作・演出:山本正典 共同演出:原竹志)を観てそう思った。「人は死ぬと、月で羊人間に生まれ変わる。」この設定で展開する物語は、生と死、水に満ちた地球と砂れきの月のイメージが相互に重なり合う。
 雨子(あめこ)は、明(あきら)と結婚し、その後、羊人間になるために月のホテルに滞在している。結婚式前夜、月面で生命維持に必要な装置の接続不良で、雨子だけが死んでしまう。残された明と雨子の兄の形(かたち)、弟の風野(カゼノ)たちは動揺と困惑を隠せない。
 雨子は羊人間となって、一角獣のように頭から黄色いアンテナを付けた姿で現れる。しかも二人に分裂していて、それぞれが明と形に会いにいく。やがて雨子が妊娠していたことが判明し、生まれなかった子も羊人間として登場する。だが、その子がお父さんと呼ぶのは明でなく形の方であり、その名は弟と同名のカゼノである。その子の父親は誰なのか。物語は悲劇的様相を帯び始める……。
 コトリ会議は関西を拠点に、東京、名古屋、新潟など全国でツアーを行う、作家性が高く評価された劇団である。美術作品のような抽象的な舞台装置や俳優の顔が見えないくらいに絞った照明で空間を演出し、密度の濃い闇に溶けた人間の思いを観客に想像させる。作家の山本が紡ぐセリフは不思議な反復性とリズムと持ち、俳優の声に乗って空間に浮遊する。
 「晴れがわ」のスクエアに切り出された舞台は、砂地の灰色で、そこに不揃いな切り株が配されている。だが、この荒涼とした月面に重ね合わされるのは、むしろ「水」のイメージだ。月のホテルは粘液質のうすい膜に覆われているし、頻繁に登場する地球の回想シーンでは雨が降っていて、川が流れ、川底には魚が泳いでいる。
 アフタートークで演劇ジャーナリストの徳永京子氏は「うすい膜」のイメージが効果的に使われていることを指摘した。内と外、生と死を分ける、目に見えない境界を登場人物たちは執拗に侵犯し続けるのだと。
 そう考えると、死ぬことへの閾値が異様に低い人々のことや、カゼノは誰の子どもなのか、といった俗人的な疑問は、山本的なマジックリアリズムの世界ではあまり意味のないことに思える。この作品ではただただ「水」がうすい膜を通して世界を潤していく、切なくも美しいイメージの時間を堪能すればよいのだ。

川守慶之(交流課 プログラム・コーディネーター)

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