アーティストと美術館で「温床」を作ったら[まるびぃ みらいカフェ レポート001]
美術館で「温床」? なんだか悪巧みをするのか、あるいは農作業に明るい方は「苗でも植えるの?」と想像してくださる方もいらっしゃるかもしれません。いずれにしても少し美術とは関係のない言葉のように聞こえます。申し遅れました、金沢21世紀美術館交流課の森です。
金沢21世紀美術館(愛称:まるびぃ)は開かれた美術館を目指しています。この交流課noteも美術館の職員がエッセイを書くことで、「開く形」を模索するものです。
様々な取り組みのうち、「まるびぃ みらいカフェ」というプログラムでは「美術館で発見と交流をはぐくもう!」と呼びかけボランティアのメンバーを募集し、美術館を楽しみ広げていく活動をしています。美術館で起きることを積極的に楽しみ、他の人ともわかちあえるように考え工夫していく人たちの集まりで、 美術館を訪れる人の発見や交流が盛んに生まれることを目指しています。詳しくは以前noteに書いたので、よければ1番下にあるリンクから読んでください。
さて、この「まるびぃ みらいカフェ レポート」では、メンバー自身が美術館活動を紹介し、見つけた発見をお伝えします。
初回の今回は、2020年度の活動である、展覧会「村上慧 移住を生活する」に関連して行った『広坂の踏込温床』プロジェクトをご紹介します。
村上さんとの出会い〜材料集め
こんにちは。
金沢21世紀美術館 まるびぃ みらいカフェ メンバーの藤川です。
皆さんは、展覧会「村上慧 移住を生活する」をご覧になりましたか?本展覧会は、東日本大震災をきっかけに、村上さんが6年の歳月をかけて行った「移住を生活する」を再構成した、村上さんの美術館における人生初の個展として、2020年10月17日〜2021年3月7日に実施されていた展覧会になります。
(展覧会会場入口、展覧会風景 撮影:木奥惠三)
会場内には、A0サイズの大きなロール紙に印刷した日記やドローイングを貼り付けた大量の合板がまるで迷路の様に置かれています。そしてその先で待ち受ける、発泡スチロールを素材にした家に誰もが衝撃を受けたのではないでしょうか。
「この中で寝泊りして過ごすなんて、無理だ」
「寝袋もあって雨風をしのげるなら、キャンプと思えば出来るのでは」
一通りの考えを巡らせた後に、一抹の不安が頭をよぎります。
「これを担いで歩く村上さんとは、一体どんな人物なのだろうか。」
「気難しい人じゃないだろうか、怖い人だったらどうしよう。」
そんな不安を打ち消すように、実際にお会いした村上さんは、どこか飄々とした中に、自分のやりたいことに対して正直に取り組む、強い芯を持っている印象でした。私たちメンバーとの初顔合わせの場で村上さんから提案されたのが、札幌での展示や東京のスタジオで行っていた、冬季の生活で暖をとるために熱を生み出す「踏込温床」を、金沢でもやってみたいとの思いでした。
時を遡ること、2020年8月某日。まるびぃ みらいカフェ担当職員の森さんから届いた1通のメールが、全ての始まりでした。
「作家の村上さんが、温床を作ってみたいと言っています・・・。」
温床という言葉自体を初めて聞くような状態で、材料は何が必要?どうやって作るの??本当に温かくなるの???私達にとって、全てが半信半疑でした。そんな私達の疑念を払拭してくれたのが、村上さんの『実際やっていて思うのは、これを「うまくいっているかどうか」の二択で答えるのは難しい』の一言でした。悩んでいても始まらない、成功や失敗の物差しで計るのではなく、やってみよう、そう決心がついた瞬間でした。
(ホワイトボードに図を描きながら話す村上さんとメンバー)
(実際に作る場所である「まるびぃ みらい畑」で広さを確認)
2020年11月の打ち合わせで、実際の踏込温床作りは年が明けてから行うということになりました。それに先立って、温床の主な材料である落ち葉を集めたのですが、これが大変でした。先ず、どれだけの量が必要か正確なことはわからない。グズグズしていたら落ち葉の時期が終わってしまい、落ち葉自体も掃除されてしまう。とにかく集めるだけ集めようということで、美術館周辺・職場の近く・近くの公園等、メンバー各自で思いつく場所から集めることになりました。
美術館周辺に関しては、参加できるメンバーで集まって一斉に行い、集まれない平日に関しては、清掃の方に取り置きをお願いすることで落ち葉の時期が終わる前に十分な量を確保することができました。
(美術館の広場の落ち葉を集めます)
(落葉樹の多い美術館では数時間でこんなに集まりました)
しかし、落ち葉集めを終えて一安心していた私たちに、更なる試練が待ち受けていました。
(温床の中の微生物の声):
「白いご飯も美味しいけれど、オカズも一緒に食べたいな。」
そう、我々が思っている以上に微生物はグルメだったのです。
温床作りには、窒素と炭素の比率(N/C)が肝心で、このN/C比が20程度の時に一番発酵が進みやすいとされています。落ち葉単体では30~50程度となり、落ち葉自体もイチョウのような繊維が固い葉では発酵が進みません。そのため、鶏糞や米糠を入れて比率を調整してあげる必要があったのです。いうならば、微生物にとっての主食となる白いご飯が落ち葉で、発酵を助ける鶏糞や米糠がオカズとなるのです。
しかし、それらの材料がどこで手に入るのか、初めは誰も分かりませんでした。村上さんが東京で温床を作った時には、インターネットやホームセンターで購入したので、それに習ってホームセンターで買ってこようという話になりかけた、そんな時でした。
「もしかしたら、養鶏農家さんにお願いすれば、鶏糞が手に入るのでは?」
「農協などに設置してある自動精米器の横に、米糠っておいてないかな?」
「コーヒー糟やお茶殻なら、給湯室からでる分を捨てずに集めます」
何気なしに出た一言から、世代も職業も違うメンバーが意見を出し合うことで、少しずつですがお金をかけずに人との繋がりを頼っていくことで材料が集まっていきました。入手を諦めかけていた藁に関しては、展覧会の関連プログラムのテーブルトークに参加していた方から提供していただく事ができ、最終的に、鶏糞16kg・米糠50kg・鰹節6kg・油粕10kg・藁と、風味付けのためにコーヒー糟とお茶殻が集まりました。
(メンバーが集めた材料たち)
かつて、村上さんがテレビのインタビューで「どこへ行っても人の生活があるのが、たまらない気持になる」と答えていたことがあります。初めて行く、道もわからない土地。でも、そこには誰かがいて、家を置かせてもらう交渉のために一言かける行動を起こす事で人との縁が広がって、次に繋がる形になっていく。村上さんがこれまで経験し、展覧会を通して伝えようとした繋がりの大切さを、一緒に作業する事を通して図らずとも感じました。
温床作り〜温度変化の観察
実際の踏込温床作りはシンプルで、初めに180×150×80cmくらいの囲いを作ります。次に、藁を内側に敷き詰めます。(A・B)囲いの中に主食の落ち葉とオカズの米糠たちを入れて(C)、材料と空気を混ぜ合わせるように耕してから(D)、最後に踏み固めます(E)。踏み込みを行う理由は、密度を高めて嫌気性発酵を促す事で、低温による長期発酵を行うためです。
最後に、踏み固めた上に水をかけ、もう一度材料を入れるところからの作業を何度も繰り返して、ミルフィーユのような何重もの落ち葉の層を作って完成となります。
(A:囲いを作って、白いビニールシートでデコレーション)
(B:囲いの内側に藁を敷き詰めます)
(C:集めた材料たちを投入します)
(D:空気と混ぜ合わせるイメージでひたすら耕します)
(E:踏み込む事で体積が減り、たくさんの落ち葉もほぼ使いきりました)
踏込温床の名称も「広坂の踏込温床」に決まり、村上さん直筆の看板とメンバーが描いたイラスト入りのミニポスターと合わせて、私達の踏込温床が遂に完成しました!
と思ったのですが、何かが足りません。それが何なのか分からないまま、悶々とした日々を過ごしながら2月20日の加温実験を迎えようとする、まさに前日のことでした。
「今は温床の周囲を白くしていますが、村上さんの家のようなタテジマを入れられないでしょうか?」
そうです。私達は一体、誰と踏込温床作りに取り組んでいたのか。村上さんらしさとは、何なのか。メンバーがメーリングリストに投げかけた僅か1時間後に、村上さんからの「やばいですね!」の一言の返信を持って、翌日に「移動しない(できない?)踏込温床(の家)」としての完成を見たのでした。
(BEFOR)
(AFTER)
(村上さんが2020年の秋に石川県を歩いている時の様子 撮影:木奥惠三)
温床作りは2021年2月14日に行ったのですが、この日は前後の週と比べて天気にも恵まれ、絶好の作業日和となりました。材料を各保管場所からみらい畑まで運ぶ時、雨により水気を吸って重くなった落ち葉の重みが、昨年の8月に1通のメールから始まり、落ち葉を集めた11月を経て、この日まで通り越してきた長い月日の流れを感じさせるものとなりました。
作業は、先ずは材料の運搬組と囲いを作る組とに分かれて行いました。合流してからは、耕作と踏み固め、水をまく作業を交代しながら、メンバー同士で、できるだけ負担がかからないように取り組むことで、踏込温床を完成させました。
もし温床作りへの挑戦を考えておいででしたら、汗をかいても大丈夫な服装と長靴で行う事は必須です。実際の作業は、材料の運搬から始まり、層の厚みに比例して水を吸って重くなった落ち葉を耕す重労働となります。また、少しずつ積み重ねながら踏み固めているので足が埋もれる事はありませんが、かなり足元が汚れてしまいます。
材料に温床作りと、ここまで私たちが抱いていた不安や疑惑は一つずつ解決してきましたが、最後の難関が残っていました。村上さんも、東京での温床作りでは温度が上がらず、試行錯誤の結果、日当たりのいい場所に設置したことで50℃近くまで温度が上がったそうです。それを聞くと、まだ雪も残る2021年2月の金沢では、どうなるのか不安でした。記録をつけるための温度計や寒さ対策のブルーシートを用意して、その時を待ちました。
結果としては、初日は温度が上がらずに不安が頭をよぎりましたが、そんな不安を飛び越えるように、次の日からは順調に上がっていき、50℃前後をキープする大成功となりました。
14日の作業を終えた日の夜、村上さんから送られてきたメールは、2つの気付きを与えて貰ったように思います。
「最近は、状況が状況なので屋外でそれなりの人数で共同作業をしたのが久々で、こうやって皆さんがそれぞれの家から来て一か所に集まり、一緒に数時間作業をして、疲れてまたそれぞれの家に帰っていくこと自体眩しいことだなと思いました。(2/14 村上さんのメールより抜粋)」
1つ目は、みらいカフェとしての場の楽しみ方です。
踏込温床作りも、作業としては農作業の一つとして表現できると思います。ですが、その作業を行う為に、職業も年代も違う人を個人で集めようと思った時に、果たしてできたでしょうか。
私を含め、みらいカフェに参加したメンバーの理由の多くは「なにかをしてみたい」という思いを「自分1人だけでは無い誰かと一緒に」実現できる場所を探していたのだと思います。
今回の共同作業を通じて、みらいカフェが、その「場」だったということに気付かされました。そして、これこそが、まるびぃが目指す姿の一つである「まちに活き、市民と作る参画交流型の美術館」にあたるのだとも強く感じます。
2つ目は、作品を鑑賞する場としての美術館の楽しみ方です。
今回の作業を行うにあたり、当たり前のことかもしれませんが、メンバーは各人の家から来て、家に帰っていきました。展示を鑑賞している時は、村上さんのこれまでの活動を見るという感覚でしたが、村上さん本人と同じ時間を過ごし、変わることのない家に帰るという現実に向き合った時に、村上さんが「移住」という言葉に何を表現したかったのかを、自分なりに考えてみたいと、メールを読んだ瞬間に改めて思いました。
作品に触れ、その場ではなんとも思わなかったとしても、ふとした瞬間に立ち止まって考えるキッカケと出会える場、それが作品に出会う美術館だと気付かされました。
「広坂の踏込温床」体験プログラム〜振り返ってみて
材料集めや温床作りと並行して、作った後にどうするのかを決める事は重要な問題でした。
「コタツを置いて井戸端トーク会場にしてみては?」
「臨時の家を建てて、生活してみては?」
ここでも様々な意見が飛び交う中、またもや誰が言ったのか
「踏込温床で食べ物を温めてみて、どれくらい温まるか実験してみよう。そうすれば、食事もできて一石二鳥だよ!」
さりげない一言に、満場一致で決定しました。
初めは、サツマイモやジャガイモに卵等の定番から、だんだんと飛躍してコンビニのパンやおにぎりも入れてみたら面白い。食べ物と合わせて、お茶やミルクティーなどの飲み物も欲しいな。あ、飲み物ならノンアルコールだけじゃ勿体ないよね。食後のデザートに、チョコレートフォンデュなんて、どうかしら・・・などなど、夢と妄想は広がっていきました。
実際の食材を使った加温実験は、踏込温床を仕込んだ1週間後の2月20日に行いました。当日は、おでんやコンビニ弁当を温めたツワモノがいたり、埋めたのはいいけれど埋めた場所がわからなくなったりと、予期せぬトラブルに見舞われながらも、これまでの活動の思い出を調味料として、美味しくいただきました。
みらいカフェのOB・OGや「まるびぃ Art-complex」関係者、村上さんの展覧会の撮影を担当されているカメラマンの他にも、美術館に来られた多くの方々に踏込温床を披露する事ができました。配布したイラストを手に取った方から、「テレビ番組の、村造りで取り組んでいた奴と同じですね」と笑顔で言っていただいた姿を見ると、本当にやって良かったと思える瞬間でした。
さらに別の日には、藁を提供してくださった方の提案と協力のもと、納豆と甘酒作りにも挑戦しました。特に納豆の作り方に関しては、珠洲市狼煙町横山地区で、大浜大豆を使用して実際に納豆作りをされている方からのアドバイスをもとに作った本格派となりました。
(スタッフ注:食べ物を使った実験は状況もふまえ、お客様には提供せずに自分が持ってきたものを自身が楽しむ範囲としました。)
後日談として、踏込温床の今後の活用方法を話し合うために、3月13日に村上さんと再度集まる機会がありました。その時に村上さんが話していた、『「移住を生活する」は、エネルギーを考えないけれど、考えざるを得ない作品だった。』という言葉と「公共の場所」に関する言葉が、強く印象に残っています。
これまでの移住を続ける中で、歩いていて常に電気がない。自分で発電できないので、携帯やパソコンを充電するために行く先々で電源を借りていたそうです。その時から、いずれは電気のことを考えなければならないと思っていたとの事です。そうやってエネルギーの事を考えていく中で、住むための冷暖房の必要性を感じ、札幌国際映画祭の「広告看板の家」で使用する寒冷対策としての踏込温床に辿り着いたとの事でした。
それと合わせて、「公共」の中には、実は「なんでもない、自由な場所がない」のではないかと疑問を持っていたというのです。家を置かせてもらう場所を探す中で、「公共」だから、家を置いていいという人がいれば、「公共」だからこそ、家なんて置いてはいけないという人がいる。どちらも、一見すると正しい意見にも感じ取れます。もし、今、目の前に村上さんが家を持ってやってきた時、私自身はどう答えるのだろうかと考えてしまいました。
村上さんの体験の中に、小さな美術祭が行われた、静岡のとある田舎の駅舎に関する話しがありました。田舎とはいえ、駅舎ですから公共の土地になります。ですが、その駅舎には誰が植えたかもわからない、誰が世話をしているのかも分からない大根が植えてあったそうです。それを見た村上さんは、色んな人が自由に使える土地が、都市にもあったらいいと思うと述べていました。
もしかしたら、村上さんは21世紀美術館には畑があると聞いて、まるびぃという公共の場に対して挑戦してみたいという思いが、踏込温床の提案に繋がったのではないかと感じました。
これまでの活動を通して、会う前までの村上さんへの印象は、どちらかというと取っ付きにくい感じの人だと思っていました。ですが、一緒に活動していく中で、毎日の暮らしの中で、どこか「見て見ぬ振り」をしてしまっていることに対して向き合い、既存の常識を一度壊して再構築しようとする、芸術家の中にも哲学者としての一面が共生されている方なのだと感じました。
みらいカフェは、やりたい事を表現して楽しめる場と書きました。それだけではなく、作品を見るだけでは感じ取れない、一人の人間としての作家さんと触れ合う機会と体験ができる場でもあったのです。
現在の踏込温床は、秋麗の時期に始まり、厳しい冬を越え、春の芽吹きを通り越して、四季の最後となる夏を迎えるにあたり、畑で使える堆肥となるべく発酵作業中となります。
村上さんの一言から始まった私たちボランティアスタッフの物語は、もうすぐ1年を迎える現在も続いています。このnote記事を読んで、まだ踏込温床をご覧になっていな方がいらっしゃいましたら、是非ご覧にいらしてください。
そして、堆肥が完成した暁には、みらい畑を利用した次なる計画が待っている・・・・かも?!
————————乞うご期待️! ———————
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ここまで、みらいカフェメンバーによる「広坂の踏込温床」の紹介をお送りしました。再び交流課職員の森です。
作家が投げ込んだアイディアをメンバーが受け取り楽しみ、広げていく過程は私もワクワクしました。作家の村上さんご本人もこの雪だるまが転がって大きくなっていくかのような展開に驚いたかもしれません。なにか正解があるような一方向に導いていくワークショップではなく、時間をかけて作家とメンバー・来館者とが双方向に影響し合う場になったことが価値あることだと思います。
この記事のように文章にして伝えるだけでなく、イラストや漫画を描くことや、得意なカメラで写真を撮ってまめに共有するメンバーがいます。また、材料集めに熱心で加賀の鶏糞農家さんを訪ねる行動力のあるメンバー、日頃から草花の作業に慣れていてテキパキ動けるメンバー、…と書き出したらキリがありませんが、それぞれの力が発揮されているように感じられました。
メンバーの記事の最後にもありましたが、この「広坂の踏込温床」はまだもう少し続きます。
発酵のようにゆっくりと歩みを進めているこの取り組みをまた来館者の皆さんとご一緒し、このように共有できたら嬉しいです。
(金沢21世紀美術館 プログラム・コーディネーター 森 絵里花)
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まるびぃみらいカフェを紹介する過去記事はこちら